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此系列記錄的是「青年百億海外圓夢基金計畫」的親歷過程,而非申請流程的攻略或指南。

傍晚五點二十分,新幹線在福島站緩緩停了下來。

八個人提著、背著各色行李,依序步下車廂。猶著短袖的幾人,裸露的臂膀浮起一層細密的寒粟,無聲地昭告,我們已踏上更為北方的土地。

月台上人影稀疏,站前卻也稱不上蕭索,遠處的店家次第亮著燈,計程車寥落地排成一列,呈現著是一座中型城市疏淡而恰好的熱鬧。

早上的種種,此刻想起來,恍若隔夜。我們即將前往的是更凜冽的北方,據說緯度愈高,熊出現的更為頻繁,新聞中時不時有人在住宅區與之照面。

本來要放有 MB さん的合照,結果 MB さん被 Sara 的✌️擋到臉 XD

出發前,有人特地在飯店附近的 Mont-Bell 買了熊鈴,兩三個人各挑了一枚,金屬的小鈴鐺繫在行囊上,舉步之間叮噹作響。上面的標價卻令我卻步,心想要真遇上熊,那點聲響說不定反倒成了為牠引路的訊號。

從人潮熙攘的東京車站上了車,窗外的風景一節比一節空曠,高樓退去,田野、矮房、遠山逐漸印入眼簾,車廂內的談話也逐漸稀薄。不知道是誰先闔上了眼,回過神來,幾乎所有人都已沉入睡眠,連窗外什麼時候從都市變成了鄉下,竟也無人察覺。

我睡著的樣子太醜了,但大家很好看,所以我只擋我自己(自私)

八個人連同帶隊的 MB さん,分乘兩輛計程車。司機是略顯中年的男人,瞄了一眼後照鏡,問我們是從哪裡來的。(不要問我從哪裡來~♫)

往飯店的途中,他隨口提起,鄰近的稲荷神社這幾天正逢大祭,今晚恰是尾聲的熱鬧。車窗外掠過幾盞紙燈籠的朱紅,遠處響著太鼓的聲音,一下,一下,悶悶地擂在傍晚的底色上。

飯店離車站徒步約莫十五分鐘。走廊與房間的燈暗壓抑,顯出些年歲的暗。房間裡掛著一幅畫。說不上哪裡不對勁,可是站在它面前,總覺得畫裡有什麼正回望著你。安頓好行李,約莫三十分鐘後,眾人在大廳集合,準備去湊祭典最後的熱鬧。

房間的畫,在昏暗光線下著實有些陰暗。後來查到是 Marc Chagall 的作品「女曲馬師」。非常抱歉。

既是大祭的末日,散場也來得格外地早。

行近會場時,最後一趟的山車(だし)正被人推著穿過窄巷,沉重的木輪輾過柏油,發出喑啞的吱嘎,人們跟在後頭跑。那是稲荷神社一年一度的秋の例大祭。

祭典!
山車!

我們隨著三三兩兩的人們入內,作最後的參拜,並抽了一支籤。參拜後,有人買了關東煮,有人捧著炸物邊走邊吃;空氣裡浮著醬汁與糖漬的甜膩,混著鳥居與拜殿木料經年日曬後的乾燥香氣。正要回程之時,攤販已陸續收攏貨物,燈籠一盞盞次第闌珊,人聲也逐漸喑下。

帥哥 Hakui 綁籤

我們幾個在路上緩步閒談。

就在此時,一個販售蘋果糖的奶奶忽然停下手裡的工作,朝我們這邊喚道:「你們是臺灣人嗎?」一口中文。她說,自己也是台灣人,約莫 20 年前嫁來日本。攤子上的東西收拾了一半,雙手就這麼停在半空,跟我們攀談了起來。

她並不住在福島,住在開車要一個多小時的地方,逢著祭典才過來擺攤,賺一點是一點。鄉音這種東西委屬奇異,在台灣,誰也不會多看一眼,到了異國闌珊的尾聲,自一個素不相識的奶奶口中聽見,竟像衣袖被悄然牽動了一下。

我們你一言、我一語,把各自為什麼來到這裡說給她聽,她也將這些年的光陰,一一道與我們。前後約莫二三十分鐘。她說,改天宇都宮有一場花火大會,要不要帶我們去看,可惜行程怎麼也對不上,終難成行。臨別之際,她往我們手裡塞了好幾顆做蘋果糖用的小蘋果,紅得發亮,比拳頭還小。

中間是蘋果奶奶,左邊是她的員工

告別奶奶,我們才想起仍未吃晚餐。奇怪的是,方才還算熱鬧的福島市區,入夜之後竟安靜得出奇。一條條街道走過去,拉門大半拉上了,招牌的燈也熄著,唯餘路燈將我們的影子拉得忽長忽短。

繞了好幾個街區,最後才在一間經營天婦羅的居酒屋落座。老闆是蓄著一頭金色長髮的男子,看上去四十與五十之間,笑容豪闊爽朗。

天婦羅炸得酥脆,外衣輕脆如蟬翼,尤其以我素來偏愛的蔬菜天為最,入口爽利。可真正令人驚豔的,卻是他自己做的豆腐。送進嘴裡的瞬間,幾乎來不及辨認那是一塊豆腐。它的質地早已不像豆腐,反倒更接近果凍,甚至帶著幾分甜點般的細緻。甫一入口便在舌間散開,涼意與清甜緩緩漫開,幾乎不留豆製品慣有的氣息。那是老闆特地遠赴外縣市習得的手藝。

吃到一半,大家聊起了飯店那股陰森的氣息。Hakui 和店長藉著這個話題道出,前幾天在川崎的飯店,夜裡睡覺好像撞見了什麼,講得繪聲繪影,桌上的大家聽得一愣一愣。我默默的祈求,這兩週在福島莫要與那些幽冥之物打上照面。

最後臨走前,我們和老闆合影了一張。

和居酒屋老闆合照!

回到飯店已經十點多。根據日程表,我們隔天一早便要謁見福島市長,自我介紹得先擬好,班長還得準備一段較長的團隊致詞。

那一個晚上,沒有人再提那幅畫,也再無人說及鬧鬼之事。眾人坐在昏黃的燈下,一句一句,將明日要說的話細細理順。桌角擱著奶奶塞來的那幾顆小蘋果,紅得發亮,靜靜偎在燈影裡,誰也沒空去望它一眼。


日本語バージョン

本シリーズは「青年百億海外円夢基金計画」の実体験を綴ったものであり、申請手続きの攻略や指南ではありません。

夕方五時二十分、新幹線が福島駅にゆるやかに停まった。

八人がそれぞれの荷物を手に提げ、背負い、順に車両を降りた。まだ半袖のままの数人は、むき出しの腕に細かな鳥肌が浮かび、声もなく告げていた—。もう、より北の土地に足を踏み入れたのだと。

ホームに人影はまばらだったが、駅前もまた寂れているとは言いがたく、遠くの店がぽつぽつと灯をともし、タクシーがまばらに一列に並んでいた。中規模の都市の、淡くてちょうどよい賑わいがそこにあった。

朝のあれこれは、いま思い返すと、まるで一夜隔てた出来事のようだった。これから向かうのはさらに凛とした北方で、緯度が上がるほど熊の出没が頻繁になるという。ニュースでは住宅地で人が熊と鉢合わせする話が絶えない。

本当はMBさんとの集合写真を載せるつもりだったが、SaraのピースでMBさんの顔が隠れてしまった XD

出発前、ホテル近くのモンベルで熊鈴を買った人がいた。二、三人がそれぞれ一つずつ選び、金属の小さな鈴を荷物に結びつけ、歩くたびにちりんちりんと鳴った。ただ、その値札を見て私はひるんだ。もし本当に熊に出くわしたら、あの小さな音はかえって熊を招く道しるべになりはしないか、と思った。

人波でごった返す東京駅から乗り込み、車窓の景色はひと区間ごとに広漠としていった。高層ビルが退き、田畑、低い家々、遠い山並みが次第に目に入ってくる。車内の会話もしだいに途切れがちになった。誰が先に目を閉じたのか分からないが、気がつけばほぼ全員が眠りに落ちていて、窓の外がいつ都会から田舎に変わったのかさえ、誰ひとり気づかなかった。

自分の寝顔があまりにもひどいので、みんなはいい感じだから自分だけ隠した(わがまま)

八人と引率のMBさんは、二台のタクシーに分乗した。運転手はやや中年の男性で、バックミラーにちらりと目をやり、どこから来たのかと訊ねた。ホテルへ向かう途中、彼がふと口にした。近くの稲荷神社がちょうど大祭の真っ最中で、今夜がその最後の賑わいなのだと。車窓の外を紙提灯の朱が幾つかかすめ、遠くから太鼓の音が聞こえた。一打ち、また一打ち、こもった音が夕暮れの底に沈むように響いていた。

ホテルは駅から徒歩およそ十五分。廊下も部屋も照明が暗く抑えられ、歳月の翳りがにじんでいた。部屋には一枚の絵が掛けられていた。どこがおかしいとも言い切れないのに、その前に立つと、絵の中から何かがこちらを見返しているような気がしてならなかった。荷物を落ち着かせて約三十分後、皆がロビーに集まり、祭りの最後の賑わいを見に行くことになった。

部屋の絵。薄暗い光の中では確かに不気味だった。後で調べたところ、マルク・シャガールの「女曲馬師」だった。大変失礼いたしました。

大祭の最終日ゆえ、散会もひときわ早かった。

会場に近づいたとき、最後の山車(だし)がちょうど細い路地を押されて通り抜けるところだった。重い木の車輪がアスファルト道路を軋ませ、しわがれた音を立てる。人々がその後を追って走っていた。稲荷神社の一年に一度の秋の例大祭だった。

祭り!
山車!

私たちは三々五々の人々に交じって境内に入り、最後の参拝を済ませ、おみくじを一本引いた。参拝後、おでんを買う者、揚げ物を抱えて食べ歩く者。空気にはタレの匂いと砂糖漬けの甘ったるさが漂い、鳥居や拝殿の木材が長年の陽射しで乾いた香りと混じり合っていた。帰り道につこうとした頃には、露店はすでに荷物をまとめ始め、提灯が一つまた一つと消えてゆき、人声もしだいに遠ざかっていった。

イケメンHakuiがおみくじを結ぶ

私たちは何人かで道をぶらぶら歩きながら談笑していた。

そのとき、りんご飴を売っていたおばあさんが、ふと手を止めてこちらに声をかけた。「あなたたち、台湾人?」——中国語だった。自分も台湾人で、二十年ほど前に日本に嫁いできたのだと言う。屋台の片づけは半ばで、両手を宙に止めたまま、私たちと話し込み始めた。

おばあさんは福島に住んでいるのではなく、車で一時間以上かかるところに住んでいて、祭りがあるたびに出店しに来るのだという。少しでも稼ぎの足しに、と。郷里の言葉というものは不思議なもので、台湾にいれば誰も気に留めないのに、異国の祭りの散りぎわ、見ず知らずのおばあさんの口から聞くと、袖をそっと引かれたような心地がした。

私たちはそれぞれ、なぜここに来たのかを話し、おばあさんもこの年月のことを一つひとつ聞かせてくれた。前後して二、三十分ほど。おばあさんは、今度宇都宮で花火大会があるから連れて行ってあげようかと言ってくれたが、どう調整しても日程が合わず、結局叶わなかった。別れ際、おばあさんは私たちの手にりんご飴用の小さなりんごを何個も押し込んだ。つやつやと赤く、拳よりも小さかった。

真ん中がりんごのおばあさん、左は従業員の方

おばあさんに別れを告げてから、まだ晩ごはんを食べていなかったことに気づいた。不思議なことに、さっきまでそこそこ賑やかだった福島の市街は、夜になるとひどく静まり返っていた。通りを一本また一本と歩いても、引き戸の大半は閉じられ、看板の灯も消えていて、ただ街灯だけが私たちの影を伸ばしたり縮めたりしていた。

いくつかの街区をぐるぐる回り、ようやく天ぷらを出す居酒屋に腰を落ち着けた。店主は金色の長髪をたくわえた男性で、四十から五十のあいだに見え、豪快で朗らかな笑顔の持ち主だった。

天ぷらはさくさくに揚がっていた。衣は蝉の羽のように薄く軽やかで、とりわけ私がもとから好きな野菜天が絶品だった。口に含むとさっぱりとしている。しかし本当に驚いたのは、店主が自ら作った豆腐だった。口に入れた瞬間、それが豆腐だとほとんど認識できなかった。食感はもはや豆腐のそれではなく、むしろゼリーに近く、デザートのような繊細さすらあった。口に含んだ途端に舌の上でほどけ、ひんやりとした甘さがゆっくりと広がり、大豆製品にありがちな匂いはほとんど残らなかった。それは店主がわざわざ他県まで出向いて習得した技だという。

食事の途中、皆でホテルのあの不気味な雰囲気の話になった。Hakuiと班長がその流れで打ち明けたのは、数日前の川崎のホテルで、夜中に何かに遭遇したらしいという話だった。臨場感たっぷりに語るものだから、テーブルの皆はぽかんと聞き入っていた。私はひそかに祈った——この二週間の福島滞在中、どうかあの幽冥のものたちと顔を合わせることがありませんように。

帰り際、私たちは店主と一枚記念写真を撮った。

居酒屋の店主と記念撮影!

ホテルに戻ったのはもう十時過ぎだった。日程表によれば、翌朝早々に福島市長を表敬訪問する予定で、自己紹介をあらかじめ用意しておかなければならず、班長にはやや長めの団体挨拶の準備もあった。

その夜、あの絵のことを口にする者はもういなかったし、幽霊の話をする者もいなかった。皆が薄暗い灯りの下に座り、一言一言、翌日に述べる言葉を丁寧に整えていた。テーブルの隅には、おばあさんが押しつけてくれたあの小さなりんごが幾つか置かれていた。つやつやと赤く、灯りの陰にひっそりと寄り添っていたが、誰もそれに目をやる暇はなかった。

《青年百億圓夢計畫|重生希望使者:五》- 福島篇

作者

CHS Li

發文日期

2026 - 06 - 15

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CHS Li

大家好,可以叫我鴕鳥。現為九州大學研究生。喜歡看電影、讀小說、偶爾去沒去過的地方走走。鴕鳥這個名字有兩個意思。一是跑得最快的兩足動物,一是不願正視現實的人。仍然不確定自己是哪一個。

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