此系列記錄的是「青年百億海外圓夢基金計畫」的親歷過程,而非申請流程的攻略或指南。
文中的ゼミ指的是 Seminar,類似台灣的 Lab,因為不知道要怎麼翻譯所以使用日文。
一記乾淨的掌聲,為那一晚畫下了句點。
滿桌的手齊齊揚起,又齊齊落下,啪的一響,俐落得不留一絲餘音,把一整天的熱鬧穩當地收攏起來。
而這一天的開始,卻是一群怎麼也按捺不住的雀躍。
清早,眾人在飯店大廳集合。窗外的太陽探不出頭,灰白的雲低低飄著,氣溫約莫十五度,空氣裡盪著一縷秋涼。大家換上和東京第一天相同的西裝,領帶打得端正,嘴裡還各自咕噥著昨夜練到深夜的自我介紹,有人邊走邊對著空氣比劃,有人握著手機,盯著螢幕上的講稿,在掌心又默讀了一遍,腳步卻一個比一個輕快。
福島市的市民中心,是一棟明亮的現代建築。一樓挑高的玻璃大廳盛滿了天光,即便外頭陰著,廳裡依舊亮堂。一道鋼構的樓梯向上延展,線條俐落,像一座向天空敞開的溫室。人們三三兩兩散坐在木桌之間低聲交談,中央幾張保留了原木紋理的長椅旁,是受理民眾的櫃檯,一來一往的問答,替這片明亮而現代的空間,添上一抹溫暖的人情味。
我們搭電梯上了樓,再經由一道連通的廊道,走到市役所那一側。空氣中忽然換了個氣味,影印紙與舊地毯混在一起、屬於辦公大樓的味道。日光燈白得平整,兩旁是一桌桌埋頭工作的職員,鍵盤聲、電話聲、椅腳擦過地面的聲響,細細碎碎,整個空間顯得嚴肅而安靜。
偏偏我們這一群台灣人,一走進去就把那份安靜打散。壓低了的交談到了轉角又忍不住揚高,有人發現走錯了方向,回頭招呼同伴,聲音在走廊裡蕩漾了許久。幾位職員抬起頭望了望,又低下頭去。心裡對認真上班的他們著實有些不好意思,腳步便放輕了些,可那股藏不住的興奮,終究還是從喉嚨裡漏了出來。
謁見市長的會議室裡,擺著一張半橢圓、近乎長方的大桌,弧線的正中央,是市長的位子。桌上交錯並立著兩面小小的旗,一面日本,一面台灣,紅與白緊緊挨著。我們沿著桌邊一一坐定,背挺得筆直,正襟危坐,方才喧鬧的我們,連呼吸都不敢出聲。
先由班長代表致詞,接著輪到我們,一個接一個起身,各自做約莫一分鐘的自我介紹。
輪到自己的前一刻,喉嚨乾澀。昨夜明明把每個字都牢牢記在腦中,對著鏡子練到自己都膩了,真正站起身,迎上滿室望來的目光,舌頭還是不聽話地打了結。我說自己原是個 AI 工程師,提起先前曾走過同樣歷經震災的南三陸,也正是因為那一趟經歷,才對這次的研習動了心。
預備好的句子囫圇吞了大半,聲音比平時小了些,心臟在胸口擂得發響,那短短一分鐘,像被誰悄悄拉長了。好不容易把最後一句說完、坐回位子,後背早沁出一層薄汗。鄰座的夥伴側過頭,遞來一個「我懂、我剛剛也是」的眼神,繃著的那口氣,這才慢慢吐出。
市長十分親切,身子微微前傾,與我們聊起福島的種種事物。說到桃子的時候,他眼睛一下子亮了起來,手在空中比了個飽滿的圓。福島的桃,個個甜得多汁,咬下去汁水能順著手腕往下淌,是這座城市最甜的驕傲。也聊了吉祥物,聊了這片土地引以為傲的種種,話裡話外,盡是疼惜。接近尾聲時,市長備了福島的紀念品要贈予我們,由班長代表眾人上前領受,雙手接過,鄭重地欠了欠身。
謁見之後,移步到中心裡一間像是教室的房間。教室很大,前頭擺了兩列、每列兩張長桌,一桌坐兩人,八個人坐下來倒顯得有些空蕩,後頭還留著大片空位,那是給稍後要進來的大黑ゼミ學生們預留的。前方立著一面投影幕。
為我們介紹福島的,是伊東大輔先生。入廳二十二年,聽說一天只吃一餐,最離不開的是黑咖啡。空腹喝黑咖啡,不是傷胃嗎…
他站在幕前,不疾不徐地說著。
他從福島市本身說起,投影幕上一張張換著這座城市的照片,說它的模樣,也說福島與台灣這些年愈走愈近的緣分。福島與台灣之間開始有了直達班機,往來一年比一年熱絡。畫面切到一張圖表:到訪福島的外國旅客中,過半都來自台灣,足足佔了五成三。
房裡起了一陣騷動,幾個人轉頭交換眼神,嘴角揚著。原來在這座城市眼裡,台灣早不是過路的客人,而是它近年來最常上門的老朋友。
當然,他也提到了那一場災難,二〇一一年三月那些倉皇的日子,驟然升高的輻射劑量,倉促撤離家園的人們。教室的光似乎暗了一會,語氣也沉了下來,但沒讓話語停在陰影裡太久,很快又把話頭轉回了現在。他說,這趟最盼我們帶回去的,是福島的另一面。
於是說起這些年福島在食物上下的功夫,語氣裡藏不住一股認真。他說,如今福島大半的農產品,早已驗不出半點輻射。他們做的檢測遠遠超出尋常的範圍,細得不能再細,一遍又一遍,結果卻幾乎什麼也驗不到。那份潔淨,他說,恐怕稱得上是世界上最安全的食物了。
說到這,他頓了頓。可是輸往台灣的數量,至今仍是零。
那個零,重重落在安靜的教室中。
他說,這份遲疑並不只在台灣。即便在日本,到了別的縣市,一聽是福島來的,眉頭仍會不自覺地皺起。至於那些真正沾染過的土壤,早已妥善處理,集中遷往了發電廠周邊;其餘的土地與尋常無異,照樣年年長出飽滿的桃,與沉甸甸的稻穗。其實,並沒有想像中那樣可怕。
聽著聽著,忽然就懂了,這趟行程的名字裡為什麼要擺上「希望」與「使者」兩個字。台灣是這座城市最常造訪的朋友,偏偏它的桃、它的米,至今還進不了台灣的門內。中間隔著的,已經不是檢驗的數據,相反地,是一道道由偏見砌成的牆。
而坐在這間教室裡的,正是八位來自台灣、親手摸過這片土地、回去之後還會把所見所聞一字一句寫下來、分享出去的人。
想到這竟有些躍躍欲試。
中午,在一處很有日式風情的地方用膳。曲折的石板小徑蜿蜒沒入庭園深處,蒼松、青楓與覆著苔色的灌木層層疊疊,在有限的天地間疊出山林幽谷般的深遠。灰瓦白牆的和風建築靜靜隱在綠意之後,彷彿與四季一同呼吸。行走其間,耳畔只剩風拂過枝葉的細響,恍若一腳踏出了塵囂,步進一方被時光溫柔收藏起來的日本庭園。坐在廊下望著那片綠,連午後悄悄爬上來的睏意,都顯得奢侈而美好。
午後回到同一間教室,這一堂換金子先生接手。入廳十年,鍾情於二郎系拉麵。他看上去與我們年紀相去不遠,講起話來溫溫和和,沒什麼架子,一打照面就讓人放下戒心、容易親近的人。
和上午不同,談得更多的是自己部門的事。那是個專做國際交流的部門,把福島和外頭的世界一條線一條線牽起來:接待像我們這樣遠道而來的團隊、維繫與台灣這些年的往來、把這座城市的近況與美好,送往海的另一端。聽他說著,覺得那是個很有意思的部門,做的皆是把人與人湊在一起的活動。他也順帶把接下來我們在福島的行程,還有與大黑ゼミ的種種安排一一交代。
大黑ゼミ的學生,是這天午後登場的主角。斜前方那扇門一開,幾張年輕的臉魚貫進來,原先空蕩的教室霎時活絡起來,連光線都亮了一階。
每人配上兩到三位學伴。我的學伴是大四的男生 KD さん,和大三的女生 AKR さん。KD さん給人的第一印象,是個再尋常不過的男大生,話不多,笑起來有點靦腆,做事正直,問一句答一句,答得認真。AKR さん則不太一樣,眉眼裡藏著一點獨有的、好的意義上的調皮,講話時眼睛骨碌碌地轉,像隨時準備在規矩的縫隙裡,塞進一個無傷大雅的玩笑。
破冰活動裡,有一項是替彼此畫像。猜拳的結果恰好排成一個圈:我畫 KD さん,KD さん畫 AKR さん,AKR さん畫我。鉛筆在紙上沙沙地走,偷眼去描對方的眉、對方的鼻,一抬頭撞上目光,兩個人都憋著笑。畫到某個怎麼也抓不準的角度,索性放棄,胡亂幾筆了事,紙上的人不成人形,反把彼此笑作一團。一來一往,原先那點生分,就在這沙沙聲與笑聲裡,化得差不多。
每隊還得取個隊名。我們三人湊著腦袋,半天也擠不出個像樣的名稱,他們便好奇地問起我喜歡日本的什麼,我提了過去曾是乃木坂的粉絲,話題就這麼拐到了偶像團體上。不知是誰起鬨,把三人名字的首字母拼成 AKT(差點忘了交代,我的日文名是 Tsubasa),後頭學著那些團體綴上一個「48」,「AKT48」就順順當當地、像是早該如此一般定了下來,誰也沒有異議。(異議あり!為甚麼不是46)
聽大黑ゼミ的學生負責人把往後的行程交代得差不多,我們八人便先回飯店歇腳。
晚上是自由參加的。同行的 Sara 身子有些不適,沒能來,但眾人心裡都惦記著。
回到飯店,眾人卸下了一整天的西裝,換上輕便的衣服。入了夜,氣溫又降了幾度,先前的微涼成了沁進骨子裡的冷,有人加了件外套,有人在裡頭添了件發熱衣。
大黑ゼミ要帶我們去福島市附近一處遊樂中心打保齡球。走去球館的那段路上,以及在館外等他們張羅場地的空檔,倒難得有了大把時間,能和這些日子同行、卻一直不算相熟的台灣夥伴好好聊上幾句。夜裡的街上沒什麼人,路燈把影子拉得細長,呵出的氣在燈下白成一小團,話也說得比白天放鬆。
「班長」,是台大社會組科系的學生,會來參加這個研習,是因為還沒拿定往後想做什麼,想趁這趟研修多和人交流,從旁人的生活經歷中,替自己探詢方向。他說這話時望著前方,語氣淡淡的,不見半分焦躁。(班長在今年的學測個人申請順利考上了輔大醫學系!大家一起恭喜他!)
「Sylvia」,原是建築業的工程師,後來轉身成了教育者,過起數位遊牧的日子,線上教日文,也帶著一些學校的孩子出門爬山。聊起教育,她整個人都生動起來,手在夜色裡舞著比劃。一路聊下來才發現,每個並肩走在這條夜路上的人,背後都各自懷揣著一段故事。現在正在環遊世界各地,同時在線上進行日文的教學,Sylvia 的先生也是一名西班牙文的老師,光是在他們的限動(Sylvia IG)中看著他們的生活,都令人稱羨。
進了球館,喧鬧便迎面砸來。球滾過球道的低沉轟鳴、撞進球瓶的那一聲炸響、計分螢幕跳出的鮮豔動畫、隔壁夾娃娃機叮叮咚咚的電子樂,攪成一鍋熱騰騰的喧囂。換上租來的球鞋,鞋頭還留著前一個人的溫度,踩在打了蠟的地板上,一步一滑。
分組比分數。其中一組裡藏著個練過的高手,起手、助跑、放球,一氣呵成,球貼著球道內側拐出一道漂亮的弧線,最後乾淨俐落地把瓶子悉數掃倒,球瓶嘩啦炸開,惹來滿場驚呼。我們這組則打得隨興,球不是酒醉就是溜進溝裡,洗起溝來理直氣壯,每僥倖全倒一次,都當作奇蹟般歡呼慶祝。分數高低早沒人計較,只顧著一球接一球地笑。
保齡球打完,一行人轉往一間名喚「山女」的居酒屋。掀開門簾,一股暖意裹著炭火與醬油的焦香撲了滿臉,店裡燈光昏黃,杯盞相碰、人聲鼎沸,把屋外的秋夜整個擋在了門外。
桌上端來的是福島的在地名物,圓盤餃子。一圈煎得金黃的餃子整整齊齊排成一個圓,盛在大盤裡,底皮還滋滋作響,騰著熱氣,活像一輪可以入口的小月亮,香氣一上桌就教人食指大動。
座位沒按組別排,於是又認得了好些新面孔。坐我正對面的是 KSK さん,正是稍早那位曲球擲得驚人的保齡球大師,一頭中分,斯斯文文,說話慢條斯理,是那種一看就讓人安心的溫柔大暖男。
右手邊坐的是 IBK さん,個子高高的,談笑風生,話匣子一開便收不住,眉眼間卻也是溫溫和和的。一桌人從保齡球的獎品頒起,破冰的話題東一句西一句地飛,MBTI、戀愛 MBTI、誰是 I 人誰是 E 人,笑作一團,杯子一次次在半空碰響。
最後,眾人以一本締め收尾。有人喊了一聲「お手を拝借」,滿桌的手齊齊揚起,又齊齊落下,啪地一響,乾淨、響亮,餘音不留。一整天的笑鬧,就收在這一聲裡。
大黑ゼミ是個熱衷在地交流的ゼミ,這樣的夜晚,他們應經歷許多回。於他們或許再平常不過,於我們,卻是踏進這座城市以來,頭一回覺得它離得這麼近。
回飯店的路上,夜更涼了,腳步卻輕飄飄的。斷斷續續的笑聲一路灑到飯店門口,有人還在學那記曲球的弧度,比劃得活靈活現。白天聽進耳裡的那些話、那個零,這時都化進了笑聲與餃子的餘香裡。原來,這就是福島,一座笑起來能把秋夜都焐熱的城市。
日本語バージョン
本シリーズは「青年百億海外円夢基金計画」の実体験を綴ったものであり、申請手続きの攻略や指南ではありません。
一発の、潔い拍手が、あの夜に終止符を打った。
テーブルを囲む手が一斉に上がり、一斉に振り下ろされ、ぱん、と一つ。切れのいい、余韻を一切残さぬその一拍が、丸一日の賑わいをきちんと畳み上げた。 けれど、この一日の始まりは、どうにも抑えきれないはしゃぎようだった。
早朝、皆がホテルのロビーに集合する。窓の外では太陽が顔を出しきれず、灰白の雲が低く漂い、気温はおよそ十五度、空気にはひと筋の秋の涼が揺れていた。東京初日と同じスーツに着替え、ネクタイをきちんと締め、口々に昨夜遅くまで練習した自己紹介をぶつぶつ呟いている。歩きながら宙に向かって身振りを交える者、スマートフォンを握りしめ、画面の原稿を掌の中でもう一度黙読する者——それでいて、足取りは誰もが一歩ごとに軽かった。
福島市民センターは、明るい現代建築だった。一階の吹き抜けのガラスホールには天光がたっぷりと満ち、外は曇っていても中は十分に明るい。鉄骨の階段が上へと伸び、その線は端正で、まるで空に向かって開かれた温室のよう。人々が木のテーブルの間に三々五々腰を下ろし、小声で語り合っている。中央の、原木の木目を残した長椅子のそばには市民対応の窓口があり、行き交う問答が、この明るく現代的な空間に、ほのかな人の温もりを添えていた。
エレベーターで上の階へ上がり、つながる廊下を通って市役所側へ入ると、空気がふいに匂いを変えた。コピー用紙と古い絨毯が混ざり合った、庁舎特有の匂い。蛍光灯の白が均一に行き渡り、両側ではデスクに向かう職員たちが黙々と仕事をしている。キーボードの音、電話の音、椅子の脚が床を擦る音が細かく散り、空間全体が厳粛で静かだった。
なのに、この台湾人の一団ときたら、足を踏み入れた途端にその静けさを散らしてしまう。抑えたはずの会話が角を曲がったところでまた跳ね上がり、道を間違えた誰かが仲間を呼び戻す声が、廊下にしばらく漂う。何人かの職員がちらりと顔を上げ、また伏せた。真面目に働いている方々に本当に申し訳なくて、足音をそっと忍ばせたものの、隠しきれない高揚は、結局のどの奥から漏れ出てしまった。
市長を表敬訪問する会議室には、半楕円、ほとんど長方形に近い大きなテーブルが据えられ、弧の真ん中が市長の席だった。テーブルの上には二本の小旗が交互に立てられている。一本は日本、一本は台湾。赤と白が寄り添うように並んでいた。私たちはテーブルに沿って一人ずつ着席し、背筋を伸ばし、居住まいを正した。先ほどまで騒がしかった私たちが、息をすることさえためらうほどだった。
まず班長が代表して挨拶を述べ、続いて私たちが一人ずつ立ち上がり、それぞれ一分ほどの自己紹介をした。
自分の番が来る直前、喉がからからに乾いた。昨夜あれほど一字一句を頭に刻み込み、鏡に向かって自分でも飽きるほど練習したのに、いざ立ち上がり、部屋中から注がれる視線を受け止めると、舌が言うことを聞かずにもつれた。自分はもともとAIエンジニアであること、以前同じく震災を経験した南三陸を訪れたこと、そしてまさにその経験があったからこそ、今回の研修に心が動いたのだと話した。
用意していた文章は大半を飲み込んでしまい、声はいつもより小さく、心臓が胸の中で太鼓のように鳴り響いていた。たった一分が、誰かにこっそり引き伸ばされたように長かった。ようやく最後の一文を言い終えて席に戻ると、背中にはもう薄く汗がにじんでいた。隣の仲間がこちらに顔を向け、「分かるよ、さっき僕も同じだった」という目を寄越してくれて、張り詰めていた息が、ようやくゆっくりと吐き出せた。
市長はとても気さくな方で、身を少し前に傾けながら、福島のあれこれを語ってくれた。桃の話になると、目がぱっと輝いて、宙でふっくらとした丸を描いた。福島の桃は一つ残らず甘くてみずみずしく、かぶりつけば果汁が手首を伝って流れ落ちるほど。この街がいちばん誇りにしている、甘い自慢なのだと。マスコットキャラクターのこと、この土地が胸を張るさまざまなこと、話の端々に、慈しみがにじんでいた。終わりが近づくと、市長は福島の記念品を用意してくださり、班長が皆を代表して前へ進み出て、両手で受け取り、深々と頭を下げた。
表敬訪問のあと、市民センター内の教室のような部屋へ移動した。教室は広く、前方に二列、各列二つの長テーブルが並べられ、一つのテーブルに二人。八人が座ると少しがらんとした感じで、後方にはまだ大きな空きスペースが残されていた。あとから入ってくる大黒ゼミの学生たちのために取ってある席だ。正面にはプロジェクタースクリーンが立っていた。
福島について紹介してくれたのは、伊東大輔さん。入庁二十二年、一日一食しか食べないという噂で、いちばん手放せないのはブラックコーヒーだそうだ。空きっ腹にブラックコーヒーって、胃にこないのだろうか……。
彼はスクリーンの前に立ち、慌てず騒がず語り始めた。
福島市そのものの話から入り、スクリーンには次々とこの街の写真が映し出された。街の姿を語り、福島と台湾がこの数年でますます近づいてきた縁を語った。福島と台湾の間に直行便が就航し、行き来は年ごとに活発になっている。画面がグラフに切り替わった——福島を訪れる外国人旅行者のうち、半数以上が台湾からで、実に五割三分を占めていた。
室内にざわめきが起きた。何人かが顔を見合わせ、口元がほころぶ。なんとこの街にとって、台湾はとうに通りすがりの客ではなく、近年もっとも頻繁に訪ねてくる古い友人だったのだ。
もちろん、あの災害にも触れた。二〇一一年三月、あの慌ただしい日々。急激に上昇した放射線量。慌ただしく故郷を離れた人々。教室の光がほんの少し翳ったように感じられ、語調も沈んだが、話を影の中に留めすぎることはなく、すぐに話題を今へと引き戻した。この旅でいちばん持ち帰ってほしいのは、福島のもう一つの顔なのだと。
そこから、この数年間の福島の食への取り組みについて語り始めた。その口ぶりには隠しきれない真剣さがあった。いまや福島の農産物の大半は、放射性物質がまったく検出されないのだという。通常をはるかに超える範囲で検査を重ね、限りなく細かく、何度も何度も。けれど結果はほぼ何も出ない。その清浄さは、おそらく世界でもっとも安全な食品と呼んでも差し支えないだろう、と。
そこで、ふと言葉が途切れた。けれど、台湾への輸出量は、今なおゼロだと。
そのゼロが、静まり返った教室に重く落ちた。
この躊躇は台湾だけに限った話ではない、と彼は言った。日本国内でさえ、他の県に行けば、福島産と聞いただけで眉をひそめる人がいまだにいる。実際に汚染された土壌はとうに適切に処理され、発電所の周辺に集約されている。それ以外の土地は何ら変わりなく、毎年変わらず、ふっくらとした桃と、たわわに実る稲穂を育てている。実のところ、想像されるほど恐ろしくはないのだ。
聞いているうちに、ふと合点がいった。この研修の名前に「希望」と「使者」という二つの言葉が入っている理由が。台湾はこの街をもっとも頻繁に訪れる友人でありながら、その桃も、その米も、いまだ台湾の門の内側には入れない。その間を隔てているのは、もはや検査のデータではない。むしろ、偏見で積み上げられた壁なのだ。
そしてこの教室に座っているのは、台湾から来て、この土地に自分の手で触れ、帰ったあとに見たこと聞いたことを一字一句書き留め、発信していく八人に他ならない。
そう思うと、なんだか胸が躍った。
昼は、日本情緒あふれる場所で食事をした。曲がりくねった石畳の小径が庭の奥へと消えていき、蒼い松、青い楓、苔色に覆われた灌木が幾重にも重なって、限られた空間の中に山林の深い谷のような奥行きを作り出していた。灰色の瓦と白い壁の和風建築が、緑の向こうにひっそりと身を潜め、まるで四季と共に呼吸しているかのようだった。その間を歩くと、耳に届くのは風が枝葉を撫でるかすかな音だけ。一歩で喧噪を抜け出し、時の流れにやさしく仕舞い込まれた日本庭園の中に踏み入ったかのようだった。縁側に座ってあの緑を眺めていると、午後になってそっと忍び寄ってきた眠気さえ、贅沢で心地よかった。
午後、同じ教室に戻ると、今度は金子さんにバトンが渡った。入庁十年、二郎系ラーメンをこよなく愛するという。見たところ私たちとそう歳も変わらず、話し方は穏やかで、偉ぶったところがなく、初対面で警戒心がするりと解ける、そういう人だった。
午前とは違い、自分の部署の話が多かった。国際交流を専門とする部署で、福島と外の世界を一本また一本と線で結んでいく仕事だ。私たちのように遠くからやって来た団体を受け入れ、台湾とのこの数年の往来を維持し、この街の今と美しさを、海の向こうへ届ける。聞いていて、とても面白い部署だと思った。やっていることはどれも、人と人をつなぎ合わせること。彼はついでに、これから先の福島での行程や、大黒ゼミとのさまざまな段取りも一つ一つ説明してくれた。
大黒ゼミの学生たちが、この日の午後の主役だった。斜め前のドアが開くと、若い顔がぞろぞろと入ってきて、それまでがらんとしていた教室が一気に活気づき、光まで一段明るくなったように見えた。
一人につき二、三人の学生パートナーがつく。私のパートナーは四年生の男子KDさんと、三年生の女子AKRさんだった。KDさんの第一印象は、どこにでもいるごく普通の男子大学生。口数は多くなく、笑うと少しはにかんで、真面目で、聞けばちゃんと答えてくれる、その答えも実直だった。AKRさんはちょっと違っていて、目元にどこか独特の——いい意味でのいたずらっ気を潜ませていて、話すときに目がくるくる動いて、規律のほんの小さな隙間に、罪のない冗談をねじ込む準備がいつもできているような人だった。
アイスブレイクの中に、互いの似顔絵を描くというものがあった。じゃんけんの結果がちょうど輪になった——私がKDさんを描き、KDさんがAKRさんを描き、AKRさんが私を描く。鉛筆が紙の上をさらさらと走り、こっそり相手の眉を、鼻を写し取る。ふと顔を上げて目が合うと、二人とも笑いをこらえきれない。どうしても捉えられない角度に差しかかると、もう諦めてめちゃくちゃに数本線を走らせ、紙の上の人はもはや人の形をなしていない。かえってそれが皆を笑いの渦に巻き込んだ。こうしたさらさらという音と笑い声の中で、最初のよそよそしさは、ほとんど溶けてなくなった。
チーム名も決めなければならなかった。三人で頭を突き合わせたものの、しばらく経ってもまともな名前が出てこない。すると二人が私の日本の好きなものは何かと聞いてきたので、以前乃木坂のファンだったと答えると、話はアイドルグループの方へ脱線した。誰かが言い出して、三人の名前の頭文字を並べてAKT(言い忘れていたが、私の日本語名はTsubasaだ)、アイドルグループに倣ってうしろに「48」をつけ、「AKT48」はまるで最初からそう決まっていたかのように、すんなりと定まった。誰も異議を唱えなかった。(異議あり!なぜ46じゃないんだ)
大黒ゼミの学生幹事からこの先の行程の説明がひと通り済むと、私たち八人はいったんホテルへ戻って休憩した。
夜は自由参加だった。一緒に来ていたSaraは体調がすぐれず来られなかったが、皆の心の中にはちゃんと気にかけていた。
ホテルに戻ると、皆が一日中着ていたスーツを脱ぎ、楽な服に着替えた。日が落ちると気温はさらに数度下がり、先ほどのひんやりが骨に沁みる寒さに変わっていた。上着を羽織る者、中にヒートテックを一枚足す者。
大黒ゼミが連れて行ってくれたのは、福島市近くのアミューズメント施設でのボウリング。ボウリング場まで歩く道すがら、そして施設の外で彼らがレーンの手配をしている間、めったにない、たっぷりとした時間ができた。この数日間ずっと同行しながら、まだそれほど打ち解けていなかった台湾の仲間たちと、ゆっくり話ができる時間だ。夜の通りには人影がなく、街灯が影を細長く伸ばし、吐く息が灯りの下で白い小さな塊になった。話も昼間よりずっとゆるやかだった。
「班長」は台湾大学の文系学科の学生で、この研修に参加したのは、将来やりたいことがまだ定まっていないからだと言った。この研修で多くの人と交わり、他の人の人生経験から、自分の進む道を探してみたかったのだと。そう話すとき彼は前を見つめていて、口調は淡々としていて、焦りは微塵もなかった。(班長は今年の大学入試で輔仁大学医学部に見事合格しました!皆で祝いましょう!)
「Sylvia」は、もともと建築業界のエンジニアで、その後教育者に転身し、デジタルノマドの暮らしを始めた。オンラインで日本語を教え、学校の子どもたちを連れて山にも登る。教育の話になると、彼女は一気に生き生きとして、夜の闇の中で手を振り回しながら身振りを交えた。話しているうちに気づいた——この夜道を肩を並べて歩くどの人も、その背中にそれぞれの物語を抱えているのだと。今は世界各地を旅しながらオンラインで日本語を教えていて、Sylviaのご主人もスペイン語の教師。彼らのストーリーズ(Sylvia IG)を見ているだけで、その暮らしが羨ましくなる。
ボウリング場に入ると、喧騒が正面からぶつかってきた。ボールがレーンを転がる重い轟き、ピンに激突する炸裂音、スコア画面に飛び出す派手なアニメーション、隣のクレーンゲームがピコピコ鳴らす電子音楽——全部が混ざり合って、熱々の騒がしさになっている。レンタルシューズに履き替えると、つま先にはまだ前の人の温もりが残っていて、ワックスのかかった床の上を、一歩ごとにつるりと滑った。
グループ対抗でスコアを競う。あるグループには経験者が一人潜んでいた。構え、助走、リリース、すべてが一連の流れ。ボールはレーンの内側を這うように走り、美しい弧を描いてから、最後に鮮やかにピンをすべてなぎ倒した。ピンがばらばらと弾け飛び、場内中から歓声が上がった。私たちのグループは気楽なもので、ボールは酔っ払いのようにふらつくか、ガターに吸い込まれていく。ガターを連発しても堂々としたもので、たまたまストライクが出ようものなら、奇跡を目撃したかのように大騒ぎで祝った。スコアの高低なんてとうに誰も気にしていない。一球ごとに、ただ笑い転げるだけだった。
ボウリングのあと、一行は「山女」という名の居酒屋へ向かった。暖簾をくぐると、炭火と醤油の焦げた香りを纏った温もりが顔いっぱいに押し寄せてきた。店内は照明が薄暗く、杯がぶつかり合い、人の声が沸き立ち、外の秋の夜を丸ごと戸口で遮断していた。
テーブルに運ばれてきたのは、福島のご当地名物、円盤餃子。こんがりと焼き上げられた餃子がきれいに円を描いて大皿に並び、底の皮がまだじゅうじゅうと音を立て、湯気を上げている。まるで食べられる小さな満月のようで、テーブルに乗った瞬間、食欲をそそられずにはいられなかった。
席はグループ別ではなかったから、またたくさんの新しい顔と知り合えた。正面に座ったのはKSKさん。先ほどのカーブボールが見事だったボウリングの達人で、真ん中分けの髪にきちんとした佇まい、話し方はゆったりとしていて、見ただけで安心できる、温かい好青年だった。
右隣にはIBKさん。背が高く、快活で、ひとたび口を開くと止まらないけれど、目元はやはり穏やかだった。テーブルではボウリングの賞品の話から始まり、アイスブレイクの話題があちこちへ飛び交った。MBTI、恋愛MBTI、誰が I 型で誰が E 型か——笑いの渦の中で、グラスが何度も空中でぶつかり合って鳴った。
最後は、一本締めで幕を下ろした。誰かが「お手を拝借」と声を上げると、テーブルを囲む手が一斉に上がり、一斉に振り下ろされ、ぱん、と一つ。潔く、澄んだ一拍。余韻は残さない。丸一日の笑い声と騒ぎが、この一発の中に収まった。
大黒ゼミは地域交流に熱心なゼミで、こうした夜を何度も経験してきたのだろう。彼らにとってはもう日常のひとコマかもしれない。けれど私たちにとっては、この街に足を踏み入れてから初めて、福島がこんなにも近く感じられた夜だった。
ホテルへ帰る道すがら、夜はさらに冷え込んでいたのに、足取りはふわふわと軽かった。途切れ途切れの笑い声がホテルの玄関まで続き、誰かがまだあのカーブボールの軌道を真似して、手を大げさに振っていた。昼間に耳に入ってきた言葉も、あのゼロも、今はすっかり笑い声と餃子の余韻の中に溶けている。そうか、これが福島なんだ——笑えば、秋の夜まで温めてしまえる街。
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大家好,可以叫我鴕鳥。現為九州大學研究生。喜歡看電影、讀小說、偶爾去沒去過的地方走走。鴕鳥這個名字有兩個意思。一是跑得最快的兩足動物,一是不願正視現實的人。仍然不確定自己是哪一個。
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